プロフィ-ル

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これだけ長く住んでいても
「フランスやっぱりおもしろい!」って感じる毎日を過ごしています。

フランス政府公認ガイドの仕事以外に
研修や展示会、市場調査の日仏通訳の仕事もしています。

(※ フランス政府公認ガイド : ガイドの国家資格です。
ここ文化大国フランスでは、国立、公立の美術館や歴史建造物内部での解説は、
基本、この資格をもっていないとやってはいけないという法律があります。)

なぜフランスに来たのか?

家庭環境がインターナショナルだったから・・・ではありません。
まったく正反対!

家はある小売商店をしていて、どちらかというと超ローカルです。

両親はわたしがずっと地元(関西)に残り、できれば近くの人と
結婚することを願っていました。

お琴とお三味線と日本舞踏と書道を習う
いわゆるコンサバな家の子でした。
(江戸時代?って感じですが、昭和の話です。)

でもわたしは、
小学生の時から外国を夢見ていました。
日本と違う世界がある、
まったく違う人種が、まったく違う生活を営んでいる、
そんな世界を見てみたい、と思っていました。

中学生になると、英語の授業が始まります。

”This is a pen.” しか習っていないような時期から
当時の東ドイツとシンガポールの女の子と
文通をしていました。

辞書を引き引き、なんとかして英文レターを書きました。

彼女たちからくる手紙は
日本とは全く違った日常生活が語られていて
私の外国への興味を無限大に高めてくれました。

地元に残ってほしい親の反対を無視して
大学は、東京の慶応文学部に入学しました。
慶応は2年に上がるときに専攻を決めます。
仏文を選びました。

フランスに対するあこがれから選んだわけではありません。
カミュの『異邦人』を読んで感動したから、それだけの理由でした。

”Maman est morte.” 「きょう、ママン(お母さん)が死んだ。」
から始まる小説、「なに、コレ?」って思いました。
こんな文章書く人が育つ国ってどんな国なのだろう、と興味を持ったわけです。

2年から3年に上がる春休み、短期語学留学で
はじめてフランスの地を踏みます。

ラ・ロッシェルという大西洋岸の町で3週間語学学校に通いました。
その後、10日間パリをぶらぶらしました。

この10日間が私の人生を左右することになったのです!

パリで見たショーウィンド―の美しさに見惚れました。
エスプレッソの香り、クロワッサンの悪魔的とさえいえる
濃厚なバターの味に感動しました。

当時日本はバブルのさなか!

DCブランドが大流行。

パリのおしゃれなショーウインドーをみて、ファッションに目覚めます。

ヒールの低い靴を履き、化粧をほとんどしないパリジェンヌ。
黒ずくめの服を着て、姿勢よくさっそうと歩くパリジェンヌ。
こびない、微笑まない、気の強そうなパリジェンヌ。

彼女たちに負けたくない、と思いました。
(別に誰かが勝負をいどんできたわけではないのですが。。。)

こうしてわたしはパリに住むことを決めたのでした。

大学卒業まではバイトをして渡仏費用をため続けました。

迷いは一切ありません。

就職活動もせず、

200万円貯金をためて 卒業式の1週間後にフランスに飛び立ちました

はじめからガイドの仕事をしていたのか?

はじめは漠然と
テキスタイルデザイナーになりたい、と思っていました。

絵が得意だったわけでもなく、デザイン画を描いたこともなく、
とりあえず、アルザス地方にある繊維専門のビジネスマスタースクールに入学しました。
(もちろん、その前に1年ほど語学学校に通ってます。)

ビジネススクール時代に、あるアパレル企業で研修をし、
その会社に就職が決定しました。

でも、フランスで働くには「労働許可証」というものが必要です。

当時のフランスは失業率が高く、
弁護士の人には「労働許可証を取るのは98パーセント無理だ」と言われました。

でも私は、「絶対にとれる」と信じていたのです。

どこからくるのか謎の
「根拠のない自信」を持っていました。

しかし心のどこかで、
「もし、ここで労働許可証がとれなければ、日本に帰るしかない。」
そう思って、エッフェル塔の写真を撮りに行きました。
ノートルダム大聖堂を眺めながら、
セーヌ川沿いをあるきました。

冬の乾燥した空気感、今でも覚えています。

11月のある日
「労働許可証を発行します」と書いた手紙を受け取りました。

渡仏してから4年が経とうとしていました。

4年間一度も日本には戻っていません。

この手紙を受け取った時、「一度日本に帰省しよう」
とやっと思えたのでした。

会社では広報、経理、企画といろんな仕事を
経験しました。

フランス人といっしょに仕事をする大変さも
おもしろさも知りました。

同い年のフランス人女性に仕事のことで嫉妬され、
強烈な「いじめ」に遭いました。

結構すごかったです。

彼女は同じチームの同僚に
陰で巧みに私の悪口をでっちあげ、まわりの人間が
私と口を利かなくなるように仕組んだのです。
(後で、別の同僚から聞いた話)

今考えると、すごすぎて笑えるのですが、
当時は笑う余裕なかったですね。

私は結構細見だったのですが、
友人には
「また痩せてない?このままいったら、
次会うときには消えちゃってるんじゃない?」
って言われるほど、
やせ細っていきました。

つらかった・・・

このいじめに耐えるために
ヨガを始めました。
精神をきたえるしかない、って思ったのです。

幸いいじめっ子の彼女は
自分で会社を辞めていきました。

ホッ・・・

このストレスのせいか、
大病をしてしまいました。

でもこれがきっかけとなって、
ビオスーパーに目覚め、
家で食べる食材はビオのものだけ、という健康的な生活をするようになりました。
レストランではビオ以外のモノでも食べていますが。。。

(※ビオスーパー : オーガニック系のスーパー)

会社では
企画製造チームのマネージャーとなり、
デザイナーさんやパタンナーさんと仕事をするのが
楽しくて楽しくて
とても充実した毎日を送っていました。

会社勤務18年ほど経った頃です。

すべてが順調な方向に向かっているように見えていたある日、

思いもかけないことが起こったのです。

「他の国に企画チームを移すので、フランスの企画チームは解散します。」
と社内発表がありました。

つまり、リストラです。

突然の発表だったせいで、

自分の身に何が起こっているのかまったく分かりませんでした。

当時のフランスの労働法で、告知から13日後に退社すると
もらっていた給与と同額が2年間失業手当としてもらえる、と定められていました。

告知の13日後、

18年務めた会社を去りました。

会社を辞めた直後、

平日、昼間のパリの町中を歩いてみました。

感激しました。

こんな美しいパリ、
何年ぶりに見ただろう???

会社がパリ郊外にあったせいで、
平日昼間のパリ中心部なんて
久しく目にしたことがなかったのです。

パリの町ってほんとうにきれだ、と改めて思いました。

昼間のオペラ座は
真夏の太陽の日を浴びて輝いていました。

失業して1年ほど経ったとき

「フランスの日本語ガイドが足りない」という話を聞き、

フランス政府公認ガイドという国家資格をとることを決心しました。

そのための学校に通いました。

一日中机に向かって
フランス史、美術史、フランスの地理などを勉強しました。

絶対ガイドの資格を取るぞ、と気力に満ち溢れていました。

この学校の美術史の先生が最高に素晴らしく、

「絵画のおもしろさ」を発見します。
絵画は感性で見ていても楽しいけれど、
絵のみかたを知ると、もっと楽しめる、っていうことを教わりました。

無事資格が取れ、
晴れてガイドデビュー!

はじめはドキドキしながら話していましたが、

しばらくすると、

これほど私に向いている仕事はない

と感じるようになっていました。

いろんな人にお会いし、美しいパリの町を紹介したり、

美術館やお城をご案内したり。。。

お客様は好奇心に満ち満ちた表情で

「本当にたのしかったです。」
「説明がとってもわかりやすかったです」
と言ってくださるのです。

ガイドの仕事が入っていないときは
歴史や美術の勉強をしています。

そうすると

今まで見えていなかった歴史の跡をパリの街角で発見します。

絵の中に
画家の意図とかふざけて描いた部分なんかを発見します。

フランスのおもしろさが
日に日に増してきます。

発見の毎日。
これらの発見をお客様と分かち合うこと
これが最高に楽しいのです。

そして、お客様が限られた時間の中で
最大限にフランスを楽しんでいただくお手伝いができることを
本当に幸せに感じるのです。

なぜ、このブログを始めたのか?

2020年以降、
コロナ禍が世界を脅かし続けています。
ガイドの仕事は
当然ながらゼロになってしまいました。

せっかく発見したおもしろいこと
自分一人で抱えておくしかない状況です。

それはちょっともったいないな、
って思ったんです。

そこで、このブログを思い立ちました。

パリの日常生活の中で

私の3大基準

おもしろい
きれい
体にやさしい

に引っかかった

発見・気づき・学び
おいしいもの、使ってよかったもの等々

このグログでお伝えしよう、と思います。

読者のみなさんが
「フランスっておもしろい」って感じてくださったら

とっても嬉しいです。

そしてフランスに来られた時に、
充実した時を過ごしていただく手助けになれば
幸いです。

ちなみに、『イーノー』の名前は
ギリシャ神話で
死後、海の女神になる人間(テーバイ王国の王女)の名前からとりました。 海大好きっ子だから!
(フランスと関係ないやん、ってツッコミいれられそうですが……)